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2013/01/25

選択ミスでMUST DIE 夜更かし編

  こんな夜更けにギュリーかよ!?

ヒント

  タイトルはZ女戦争です。夜中だってのにレッツももクロちゃん!




 
 夜桜の下でカレー。僕が行ったViCCの最初の新歓でした。その時に自己紹介で「あまり映画は見ないんですがよろしくおねがいします」とのたまって場を震撼させた(新歓だけにwwwwwwwwwwww)記憶があるんですが、そんなギュリさんもたまーに気が向いて映画を見ようかという気持ちになることがあります。

 たまーに、というのが大体夜中に訪れるからたちが悪いですよね。2時ごろにふと思い立ちました。コンビニでカップラーメンを買って、部屋の電気をオレンジ色に薄暗くして準備完了。PCの画面に映し出されたのは、「かもめ食堂」でした。

 「この場面は○○を象徴している」だの「このシーンでこの人物の心は大きく動いた」というようなことをひとつひとつ書き連ねるということはちょっとできないんですが、ただ、とても落ち着いた素敵な映画だったなと思いました。主人公はフィンランドで一人、和食の食堂を営む「サチエ」。やがて彼女のもとに、様々な事情を抱えた同じ日本人の女性がぽつりぽつりと現れるようになります。「人がものを食べている姿にどうも弱いんだ」。優しくもどこか凛としたキャラクターが、様々なお客さんや友達を受け入れていく姿に安心します。

 「起承転結」というとどうしても、起! 承! 転!! 結!!! というように大きな山のような場面を作らねばならんのかな、と今まで漠然と考えていたのですが、別にその必要は必ずしもないのかな、と考えたりもしました。もちろん起承転結が一切無いモノサシみたいな物語を作るのが良い、というわけではありません。しかし起承転結が何か大きなイベントである必要はないですよね。
 例えば朝起きて目覚ましを止めます。時刻は8時。今起きないと学校に遅刻しちゃう……。でも眠い……。ここで人は一つの選択を迫られて、パラレルワールドは2つ。その先にも顔を洗うだのご飯を食べるだのやっぱ寝ちゃうだの、当たり前と思える行動のひとつひとつは、確かにその先にたくさんの分岐とストーリーを持っています。何が重要になるかなんてわからない。脚本だって同じですよね。本当に些細なことで物語は動くもの、という認識があってもよいのかな。

 ここで寝ずにカラオケに行ってウェーイとか言ったらどんな分岐が待ってるんでしょうね。カラオケに行く途中の曲がり角で何かしらをくわえた女の子とぶつかって1機失うかもしれん。やっぱ寝ます。朝寝坊でまた1機失うかもしれない……。でも、寝ます。寝ないと寝不足でやっぱり1機失うので!
 では失礼します。

P.S
考えたらこれ夜更かしじゃなく夜明かしですわ

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