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2014/03/08

インディーズ映画の衝撃

 バキだよ。ここのところ気持ちが沈みっぱなしだったんですが、つい先日ある用事で東京に出かけて久々に「充実」という言葉を使いたくなるほどみっちり楽しい時間を過ごせました。正直こんなに自分が楽しくていいのかと懐疑的になるあまりこの先待ち受けているであろう人生の凋落を思って胸が苦しくなったほどです。その時の話をしようと思います。
 念のため言っておくと、色恋沙汰じみたエピソードを期待されては困ります。そんな話をしても誰も得をしないので断腸の思いでやむなく割愛するのです。断じて一人さびしく遊び呆けていたわけではありません。断じて。

 その一日をかいつまんで話すと、
昼の神保町でイタリアンを貪り、岩波ホール(ずっと行きたかった名画座)でマノエル・ド・オリヴェイラ監督の「家族の灯り」を観、古書街を散歩して辿り着いた甘味処竹むらであんみつの食べ方の極意を学び(黒蜜はちょっとずつさっとかけて食べるのが良いかと思われる。先にたくさんかけてしまうと最後に底に黒蜜が溜まってしまい味が濃くなる。しかし濃すぎるということもないのでそれもまた一興)、夜は新宿でとんかつ茶漬けなる奇っ怪なものを食い、バルト9で神山健治監督のアニメ映画「攻殻機動隊Stand Alone Complex Solid State Society 3D」(まこと長いタイトルである)を観て電脳空間にダイブし、その感動冷めやらぬテンションのままオーディトリウム渋谷で濱口竜介監督作品のオールナイト上映に突撃参加したのであった(思うに、映画を観た後というのは正常な判断ができないものだと思っていたほうがよい。映画を観た後あまりの感動でその場でBDを買ってしまい帰りの電車賃がなくなってしまった男を私は知っている。彼の名誉のため名は伏せるが)。以上。

……全然かいつまんでねーじゃねーか! その気持はよくわかる、わかるからこそ先手を打っておいた。懸命な読者諸君は華麗に読み飛ばしてくれたことと思う。

しかしなんという映画サークル員の鑑のような一日か!

 そういうわけでここまでが前ふりでした! わはは!
 観た映画がどれも素晴らしかったのでちょっとお勧めしようと思います。うまい言葉が見つかりそうにないですが、そのへん、文意以上の得体のしれない何かを汲み取って勝手にワクワクしていただけると非常にありがたい。それでは観た4本の映画について。

1.「家族の灯り」

マノエル・ド・オリヴェイラ監督/2012/ポルトガル・フランス合作
 あらすじコピペ
ある街で帳簿係として働くジェボは、妻ドロテイアと息子の妻ソフィアとともにつましく暮らしている。彼らの息子ジョアンは8年前に忽然と姿を消していた。ジェボは息子の失踪した秘密を知っているが家族には隠していた。ジョアンの帰りを待ちわび、悲しみに暮れる日々を過ごす一家――。そんなある日、突然ジョアンが帰ってきた…。長い間不在だった息子の突然の帰宅に動揺する家族の姿をとおして、家族愛の普遍の姿と人間としての誇りを描いた至高の物語。
 この映画、とにかく静か。音だけの話じゃなくて、FIXで長回しのカットが多かったりと、画的にも動きが少ないのだ。本当に眠くなる。気付けば絵画を見ているような気分になっていました。すべてのカットに無駄がなくて、構図なんかはむちゃくちゃ勉強になります。
 ただただ映像の美しさに圧倒されます。まごうことなき芸術作品です。
冒頭の長回し。船着場で片足乗り上げるポーズは
誰がやってもサマになるけど
こんなに綺麗な画面はそうは作れまい
 お話の核は揺れ動く家族模様なのですが、良かったのは「別にいい話でもなんでもない」というところ。ひどい話っていうんでもない。クライマックスにはかなり衝撃的な展開もあるけれど、ただそういうふうに家族があって、嬉しさとか哀しさとか、そういうものの垣根を超えた深さがある。淡々としているのでもないし……冴え渡った洞察とでも言おうか……。語彙が貧困なので深いとしか言えない自分が悲しい。自分の目で確かめて欲しい。確信できるのは間違いなく名画だってことだ。
 ところで僕は岩波ホールという名画座で観たんですが、開場の時間になって劇場に入ると「とんでもないとこに来ちまったな……」と思わされました。観客おばさんばっかりだった。たまにおじさん。調べてみると監督もなんとこの作品の監督時に104歳。どっひゃあ! 正直僕は世間を知らぬ若者だし理解できない部分がたくさんあったけれど、またいつかこの映画を見返した時に新しく何かに気付けたら自分が成長したことを実感できるんじゃないかなという楽しみはあります。



2.「攻殻機動隊S.A.C. Solid State Society 3D」

神山健治監督/2011/日本
 コレコレ。コレですよ僕がわざわざ1150円かけて東京に出向いた最大の理由!
 「攻殻機動隊」を知らない人のために簡単に説明しておきます。もともとは士郎正宗による漫画なのだが、そこからアニメーターの押井守が原作のパラレル世界を描いた映画をつくり、押井守を心の師と仰ぐアニメーター神山健治(今や超ビッグである)がさらにまたパラレル世界を描いたTVアニメをつくり、さらにまた神山健治がパラレル世界を劇場用に作った作品がこれ。ずいぶんややこしいメディアミックスだが、世界設定はもっとややこしい。
 シリーズ全体としての基本設定はこうである。
時は21世紀、第3次核大戦とアジアが勝利した第4次非核大戦を経て、世界は「地球統一ブロック」となり、科学技術が飛躍的に高度化した日本が舞台。その中でマイクロマシン技術(作中ではマイクロマシニングと表記されている)を使用して脳の神経ネットに素子(デバイス)を直接接続する電脳化技術や、義手・義足にロボット技術を付加した発展系であるサイボーグ(義体化)技術が発展、普及した。結果、多くの人間が電脳によってインターネットに直接アクセスできる時代が到来した。生身の人間、電脳化した人間、サイボーグ、アンドロイド、バイオロイドが混在する社会の中で、テロや暗殺、汚職などの犯罪を事前に察知してその被害を最小限に防ぐ内務省直属の攻性公安警察組織「公安9課」(通称「攻殻機動隊」)の活動を描いた物語。
 初めて見る人は何言ってんのかわかんねえと思うが、ここで僕が言いたいのは、この作品のキモが「電脳戦」にあるということ。電脳戦というのはようするにバレないように相手の脳をハックして記憶を改竄するとか人工衛星との通信記録を傍受して居場所を逆探知して暗殺するだとか、そういうアレです。この3Dでは、なんとその電脳世界を疑似体験できるのだ! たまらん!
 3Dって言ってもそんな大したことないだろって思うかもしれませんが、想像以上にダイブしてました。

 ここで僕のありがたい言葉を記しておきます。
 「意図のないものは表現ではない
 ありがたいだろう。ありがた過ぎてありがた迷惑だなどと思わぬように。少々押しつけがましいのは重々承知だが、まあ一つの意見だと思って聞いて欲しい。
 僕は、人が何か表現しようとするとき、そのすべてに意図がなければならないと常々感じております。例えば映画だとわかりやすい。監督は画面に映るすべてのものに気を配らねばなりません。基本的なことです。必要な物だけをフレームに収め、そうでないものは排除する。あらゆる表現においてそういうことが言えると思うのです。いい作品というのは、無意味に思えるようなところがあったとしても、そこにはおそろしく張り巡らされた意図があったり、あるいは意図された「無意味さ」だったりするのです。
 で、3D。最近なんでもかんでも3Dにしすぎじゃねぇ? そこに意図はあるか? と僕は思えてならないのです。とりあえず飛び出りゃいいってもんじゃない。おっぱいと同じですね。
 ところがこの攻殻3Dはちゃあんと3Dである意味があるんです。電脳世界の体験という意図が。
 僕は映画館で観る映画について語るとき「体験」という言葉をよく使うけれど、まさしくそこにあったのは体験でした。映画が終わったあとヘッドホンを首にかけて「攻性防壁……!」とぶつぶつ呟きながら新宿を歩いていた人がいたと思います。それが僕です。


 ところでこの映画、実はとっくに公開終了しており、しかも3D版は上映できる劇場が限られるのか、この二年ちかくずっとどこの劇場でも上映しておりませんでした(たぶん)。そんな作品が今回上映に至ったのはなにゆえか。
 読者諸君はドリパスというサービスをご存知だろうか。要は観たい映画に投票して得票数が上位になればドリパスさんが版権元や劇場に問い合わせ、限定上映にこぎつけてくれるというとてもありがたいものである。一年ちょっと前からずっと僕はこの映画に投票し続けており、ようやく念願叶ったというわけです。超ウレシイ。次これ観られるのはもういつになるかわかりません。
 読者諸君も是非ドリパスを利用してみては如何か。



3-4.「親密さ」「Friend of the Night」

濱口竜介プロスペクティブ in Tokyo@オーディトリウム渋谷
 ハイ来ました、大本命。タイトルを二本連ねて書いたのは同じ監督の作品であるのと、オールナイト上映にあたって続けて上映された作品だからです。勘のいい読者諸君は気付いたかもしれないがこのエントリのタイトルに書いた「インディーズ映画」とはこれらのことである。このオールナイト、特に「親密さ」について書くためにエントリを書き起こしたようなものだ。このエントリの冒頭で「長い前フリ」という芸をしましたが、実は上述したすべてがここへ来るための長い前フリだったわけです。高度なテクニックです。

 読者諸君はインディーズ映画を観たことがあるだろうか。そもそもインディーズ映画と商業映画の違いってなんなのか僕にもよく分かってないのだが、たぶん金の匂いがあんまりしなくてシネコンでは見かけないやつがインディーズだろう(適当です)。僕は特にインディーズ映画が好きだとかそういうのがあったわけではない。高校の頃、四条烏丸にある愛すべき京都シネマで観た三宅唱監督の「Playback」にいたく感動したこともあったし、石井聰互監督の「狂い咲きサンダーロード」とかは学生が作ったにしてはむっちゃすごいな、ってくらい。そんなもんだ。
 
 話を戻そう。インディーズ映画と商業映画について。今まであんまり考えなかったことだけれど、今回のオールナイトでいくつか思ったことがある。まず「インディーズ映画は商業映画とは違う武器を持っているが、その武器で商業映画をぶちのめすことはできる」ということ。要するに「超面白いインディーズ映画が存在する」ってことだ。そして、次。
 「インディーズ映画は映画サークルでの活動とどこかで繋がっている」ということ。これを感じた時、僕は震えた。徹夜のぼんやりしたぼんくれの頭の考えることだから信用ならないけれど、「自分にもこんなに面白いものはつくることができる」という自信。創作意欲がもりもり湧いた。自分もこんな映画を撮りたくなった。撮れると思った。「桐島(中略)やめるってよ」でも神木くんが言ってましたね。そういうアレです。
 インディーズというのは低予算なのです。なのでレールとかたぶん使ってない。カメラ動くときにはぶれもする。前後のカットで背景がなんか違う(別の日に撮ったでしょ!みたいな)とかもちょくちょく感じる。それでも悔しいことに、心の底から面白いんですよ! 去年の1月から今までに観た映画が157本になりましたが、後述する「親密さ」なんかはその中でも一番エモかったと言っていいかもしれない。それくらいのパワーと若さが満ち溢れている。このオールナイトもまたとてつもなくいい「体験」を与えてくれた。心の底から感謝したい。今まで生きててよかった。

映画「Friend of the Night」/濱口竜介監督/2005/44分
深夜0時からのオールナイト上映はこの中編映画「Friend of the Night」で始まった。濱口竜介監督の映画を観るのは初めてだったので軽いジャブを見送るつもりでリングに上がった。余裕の表情です。そしたら予想外のストレートが飛んできてボコボコにされました。岩波ホールでも感じたことを再び肌で感じてしまった。とんでもないとこに来ちまった、と。
 てなわけであらすじコピペ。
若手のシナリオライター・衛(まもる)は今まで手を付けたことのない「ホラー」という発注にうまく応えられないでいる。友人の結婚式で、同級生の奈美に出会った衛はその夜、彼女にとって「何が一番恐いか」を聞き出そうとする。最初ははぐらかしていた奈美だが、やがて「A」というかつての友達のことを語り始める。笑いとともに始まった「ある夜の友人」の話が、やがて衛と奈美の関係までも微妙に震わせていく。
怖い映画です。血もドッキリビックリもない、静かな恐怖。作中で語られる「怖い話」が怖いわけではないのだ。上手く言えないけれど。オバケより何より人が怖いよね。
 「元々、主演の岡本英之が所属していたバンド“The Chronicles”主催の〈音楽×映画〉イベントの為に作られたもの。〈ラブホラー〉という発注だったが、できあがったものはラブともホラーとも言いがたい不思議な作品になりました」(監督談)らしい。ふーんと思った。

映画「親密さ」/濱口竜介監督/2012/255分(途中休憩あり)
 そして映画「親密さ」。まず目にとまるのはその長さである。255分ておい。園子温の「愛のむきだし」も相当長かったがあれよりも長い。なぜこんなに長いかというと、当然理由がある。
 そもそも本作は二部構成となっている。前半では、演劇の公演に向けて劇団員たちがそれぞれに抱えた思いが衝突し合い、すれ違い、やがて近づく公演の日までを丁寧に描く(ここが無茶苦茶エモいのだ!)。後半ではなんと、実際に行った演劇を複数のカメラで撮影した映像が、最初から最後まで流れる、というもの。とんでもねえこと考えやがるぜ……。しかしこの構造、「練習を積み重ねてきた場面を観たから本番のシーンに重みが出る」とか、そんなレベルの話ではないのだ。
 この映画では、とにかくたくさんの言葉が劇団員たちの間で交わされる。うわべだけの言葉、自分では気付いていないけれど自分を守るための嘘、手探りで少しずつ見つけ出してきた心の底からの言葉。この映画について評した人が「膨大な量の言葉の奔流」といった。まさにそうだ。それらの蓄積によって、登場人物のセリフに込められた思いや、表情の意味、演劇の外で起きていること、すべてが融け合って、有機的な意味をもって僕らに伝わってくるのだ。
 この映画は多くの人が心の何処かで言おうとして言えずにいるたくさんのことを、少しずつ、いろんな登場人物の立場から代弁してくれて、またその中にもたくさんの気付きがあるような、若い僕らには響いて仕方がない映画なのだ。
映画「親密さ」のワンシーン(めちゃくちゃいい場面)。
左の平野鈴さんが我らが麗しのずーみんさんに似ている気がする。
右の男はなんか僕に似ている気がする。
しかも作中で二人はカッポーである。なんだこれ。
 脚本が圧倒的にいい。映像もすごくいいけどこの作品はやはり脚本だと思う。会話のテンポやリアルさにセンスが光りまくっている。言葉が聴いていて快感になる。とんでもない武器だ。この映画では、たくさんの言葉で人の深いところをえぐる。
 だけどここで大切なのは、「この映画と比べて他の映画たちが深くないなんてことはない」ってことだ。要は、この映画を特に「刺さる」と感じる僕は若いのだと思う。悪く言えば、想像力が欠けている。「たくさん語る」という甘さ、若さ。たくさん語ってくれていることへの観ている側の甘えと若さ。
 一見これは弱点のように見えるが、必ずしもそうではない。作中の脚本家は劇団員たちに向けて「お前たちの弱点こそが武器なんだ、それを活かせ」と言う。この作品の若さ。脆さ。小ささ。弱さ。そういったものすべてが、どうしようもなく刺さるのだ。悔しいことに。面白いと思えてしまうのだ。本当に悔しい。
後半、演劇パート。ビニールで格子状に張られただけのステージだが、
それに留まらない広がりを感じさせる
 ぶっちゃけもうこれ観られる機会あんまねぇと思う。Blu-rayとかDVDとかも市販されてないっぽいし布教のしようがないっていうのが悔しい。創作意欲バリバリ湧くことうけあいなのに。




5.「不気味なものの肌に触れる」

 
 しか~~~し!

 なんと監督の新作中編「不気味なものの肌に触れる」がネットでダウンロード販売されている!!
 染谷くんと渋川清彦が出演!! コリャたまらんで!!
 ……誰か興味ある人いない?
 話はよくわかんないけど予告編見た感じ映像むっちゃかっこいいな。音響もずるいけど。


 ……と、ポチろうと思ったら支払い方法がPayPalとクレジットのみで、どっちも使えない僕はどうしていいのかわからないよ。たぶん寝たほうがいいのだろうとは思う。
 観ました。これも面白かったです。オススメするかどうかは後述する理由でちょっと「うーん」と首をひねりたくなりますが、ついでなので一応ここに感想とか追記しちゃいます。

濱口竜介監督/2013/54分
本作は濱口竜介監督による構想段階の長編「FLOODS」へ向けて作られた、プロトタイプのような中編。
 あらすじはこれ。
「千尋(染谷将太)は父を亡くして、腹違いの兄・斗吾(渋川清彦)が彼を引き取る。斗吾と彼の恋人・里美(瀬戸夏実)は千尋を暖かく迎えるが、千尋の孤独は消せない。千尋が夢中になるのは、同い年の直也(石田法嗣)とのダンスだ。しかし、無心に踊る彼らの街ではやがて不穏なできごとが起こりはじめる…。」
「…。」の続きに何かありそうな気がしますが、この作品ではその先が描かれません。不穏な出来事が起きて終わり、「to be continued to FLOODS」のテロップが流れてエンドロール。オススメするかというと悩むっていうのはこういうことです。

染谷くんと石田くんのコンテンポラリーダンス。緊張感のある演出がいい。
でもちょっと染谷くんの身体がだらしない気が。そういうのも好きだけど。
しかし映像のすごさは眼を見張るものがある。ダンスシーンは緊張感があってよかったし、他にもさりげない場面で効果的に使われる鏡面を使った演出も観ていて勉強になった。奥行きって大事。
 「河」や「雨」が大きなモチーフとして使われているのだが、それに合わせてか全体的に湿った感じの色合いの画面になっていてとてもカッコイイと思った。
 こういうのってどうやってるんですかね? 教えてカメラおじさん!
 
何気ないシーンだけど色合いが特にかっこよく活きてる気がしてキャプった一枚
まあ「親密さ」が無茶苦茶良かったので次の「FLOODS」もいい作品になりそうな予感がビンビンしてます。そういう意味ではこの「不気味なものの肌に触れる」を観て「FLOODS」に備えておきたい気もします。少なくとも勉強にはなりますよ! 興味のある方は僕にお声掛けいただければよいかと。
 染谷くん大好き。

(2014.03.11 追記)
 



 「先日」なんていう言い方してるけど実はこのオールナイト観たの今日だからね、完全に熱に浮かされてる状態だよ。
 今もうなんか丸一日寝てないのに全然眠くないのが怖い。でも身体のいたるところが痺れてきて疲労感もあるから寝たほうがいいのだとは思う。なによりこんな長いエントリ書いてる頭はきっと正気じゃない。話もなんだか脈絡がなくなってきた気がする。大丈夫か。目を覚ませ僕。ん? 違うな、寝ろ、僕。あぁだめだ、不健康自慢みたいになってきた、そろそろここで筆を置かせてもらおう

 最初から最後まで読んでくれた人がいたらそいつは海よりも広い心の持ち主だ。結婚してくれ。ありがとう。おっぱい万歳。
 なんだか一人で盛り上がっちゃってる人みたいに(「みたい」ではなく実際にそうだろうな)なってしまったけれど、これを見た誰かがいつか何処かでもし機会があれば映画「親密さ」を観てくれると嬉しい。そして語らおう。たましいと直に触れ合うことのできる“言葉”で。

3 件のコメント:

ギュリ さんのコメント...

グレイテストな記事です

羅王 さんのコメント...

 「意図のないものは表現ではない」

これはあなたが意図を理解できていないだけですよね

細かい分析をしても、自分のジャンルと違うものを見ないと言う心意義はたいした物ではないでしょう
自分の見たい物しか見たくないという心情が子供過ぎますよね。

その程度の能力ではこれからの時代通用しませんね。

あなたの言う電脳戦の恐ろしさなどただ電脳技術を紹介しているだけに過ぎません。
その程度では恐ろしさとはならないのです。
世の中では人が生きて居ますので、3Dはそのためにあるものです。
常に生きているために3Dを用いているもので、技術として使えるかなどを考えて用いるものではありません。
これは用はあなたより3Dを意図なく用いている人のほうが3Dを使えているということに当たります。
あなたのいう意図というのはマニアックな理由にすぎなく、それは意図ではございません。
あなたの意図とはあなた自身が3Dや近未来技術を表したいという銭下馬根性にあり、それによるマニアックの顕示です。

こんなものは表現でないものにとらわれた銭下馬売太が正しい表現を見ることもなく、ただ銭下馬根性で自分の業界と異なる物が使われている映画をことごとく遣り上げにしているものです。

3Dを使っている人は既に電脳なわけです。そういった風に3Dをあなたの言うような銭下馬な意図なく用いることが正しい普通の電脳に同じなわけです。
あなたのように軍事特需や権力請負仕事などの銭下馬根性で3Dをすべて戦争電脳に関連していると考えるのは只の金策金夫です。

軍事や権力に関連するだけの人が、正しい人の生きていることを批判する度合いなどあるのでしょうか、
考え直すべきです。

匿名 さんのコメント...

 僕は映画館で観る映画について語るとき「体験」という言葉をよく使うけれど、まさしくそこにあったのは体験でした。映画が終わったあとヘッドホンを首にかけて「攻性防壁……!」とぶつぶつ呟きながら新宿を歩いていた人がいたと思います。それが僕です。


こんな3Dで頭がよくなったと思ってるなら相当のアホです。
考え直したほうがい→い←で↑す↓ね→。

3Dはアメリカの歴史があるからやるもので、それ以外の理由で行うことではありません。
権力性が高いもので、日本であまりしゃべられていても、スパイの徒党集めに過ぎません。

実際に生きている人は機械をいくら詰まれてもあなたの様には考えません。
生きている条件に合わせて動いているものです
それは宇宙から出るまでは同じです。

あなたたちは哲学の応用適用を間違えているでたらめな人たちです。